コクトーの実験室 ~現実を拡張せよ!~

繰り返しの日常から、いかにして現実を広げていくのか。その過程をほぼリアルタイムでシェアします。

やりたいことがないなら、とりあえずリソースを増やそう

①僕は特にやりたいことがない。

②➡でも、現状には満足していない。

③➡というか、このまま人生終わるのは嫌だなと思う。

④➡何が?

⑤➡気が進まないし興味もないことに一日の大半の時間を使い、ストレスを貯めているのが。

⑥➡このままではたぶん後悔するだろう。

⑦➡でもやりたいことなんてないしな・・・

➡①に戻る。

 

という思考のループ。

 

そうじゃない。

思考を柔軟にするんだ。

 

嫌なことをやっている&やりたいことがやれていないという現状

好きなことをやって活き活きと生きているという理想

 

いきなり後者にいくのは難しい。

リソース(時間・体力・精神力・)を嫌なことに奪われている状態で、

自分のライフワークとか、打ち込めることを見つけるのは現実的に考えて厳しい。

 

なら、その中間。

 

今の自分のリソースを奪っているものを捨ててしまえばいい。

 

すなわち、ライフワークではなくライスワーク(生活のための生業)を持つこと。

 

そしてそれは好きなものでなくてもいいから、効率が良くて、自分のリソースを極力奪わないものであること。

 

普通の人間が棚からぼた餅的な幸運以外で、戦略的に納得できる人生を歩むには、これが一番最適だと思う。

 

物語とその外側

 

自分はいつか死ぬ

他人ではなくこの自分が死ぬ

 やっぱりここは外せない

 

何を成し遂げても、手に入れても、どれだけ尊敬されても、生きてる間に楽しい思いをしても、人間は自分が死ぬってことの前には全くの無力じゃないのか?

 

人生の中で起こる出来事、成功失敗、喜怒哀楽というのは、いわば物語の中身の話だ。

人生とは物語のことだ。

でもそれには必ず終りが来る。

人工知能とか医療の発展でたとえ数百歳に伸びたとしても、必ず死ぬときがくる。

 

そう考えると、なんともいえない虚無感に襲われる。

俺が人生でやってきたこと、今やっていること、これからやろうとしていることに意味はあるのか?

たとえそれがものすごく人々の役にたったとして、その人々もやがてはいなくなる。

 

そもそも何か、役に立つということにどれほどの価値があるのだろうか。

どれだけ便利になっても、どれだけ不快なことが減って快感を感じることが増えても、それはただそれだけのこと。

生まれて、しばらく生きて、いなくなる。この構造の中身の話でしかない。

 

結局、人間が、他ならぬ自分自身が生まれて生きて死ぬというその事自体に納得できなければ、心の底からの充実なんてないのだろう。

 

死について語ると、現代の日本ではこういった趣旨の反応がかえってくるだろう。

 

すなわち、

「人間はいつか必ず死ぬなんてあたりまえなんだから受け入れよう。

 そして、生きている間はめいいっぱい楽しもう。そうしないと損ですよ!」

 

でも、ほとんどの人の中には、"死んだら終わりだよなぁ"というぼんやりした不安と共に、何か人生を"楽しまなきゃいけない"というじりじりした焦燥感があるような気がする。

それって無茶だ。自分の行く末が"終わり"な場所で、しかも"楽しむ"という義務を負っているんだから。

 

かといって、死について延々と考え続け、悩み続ける人生を送るのも何かもったいない気がする。だって俺は生きていて、色々な感覚や感情、考えがあって、それらをどうにか動かして物語を生み出すことができるのだから。しかも期間はたった一回きりで、時間も限られている。

 

死とか人生について考えだすと、日常のごちゃごちゃしたことなどどうでもよくなって、出家でもしたい気分になってくるけれど、それはホントに切羽つまった、どうしようもなく"死についての問い"に追い詰められている人がやることであって、ほとんどの人ははそうじゃない。

 

大多数は日常を生きている。

 

なら、そこにもちゃんと意味を見出したいと僕は思う。

 

結局、物語(=日常)とその外側(=死、未知)の両方を見据えながら生きていくのがベストだと思う。

物語の外側は、本質的だけど、そこにのめりこみすぎると日常にコミットすることができなくなる。

それはもったいないことだ。

たぶん、日常にも学ぶべきことはあるはずだから。

 

両方をちゃんとリアルに感じながら生きる。

これは一生のテーマだなぁ。

 

 

 

 

 

 

立派がりたがる人達

このホリエモンの動画(音声)がすごく面白かった。

 

www.youtube.com

 

動画の最初の方で、

「なんでみんな、こんなにタテマエを重視するんだろう?

 例えば、疲れて新幹線で寝ようと思った時に、赤ちゃんが隣で泣き出したら"チッ"って思いますよね?ボソッと言うかもしれない。聞こえないように。

でも、それすらみんな"するな"って言いますよね。何なんですかね。

何でそんなに立派がりたがるんでしょうね」

というような発言があった。

 

めちゃくちゃ同感。

 

みんな潔癖すぎるんだよなぁ。

 

そもそも日本って、"普通"とか"常識"のハードルが高すぎると思う。

 

例えば、"人に迷惑をかけるな"って言葉があるけど、日本人は迷惑に感じる閾値が低いなぁと常々感じる。神経質と言うかなんというか。

 

”常識がない”とか”礼儀知らず”って、加害者(と思われてる)側ばかりが批判されるけど、何かを常識だとか礼儀知らずだと"思ってる側"は問題にされないんですよね。

 

でも、みんながもっとおおらかになれば、加害者も被害者も存在しなくなるんだよなぁ。

そこには誰も目を向けない。恐ろしきかな。

社会人になって3年経過して思ったこと

こんにちは。コクトーです。

 

今年も新年度が始まりましたね。

移動された方、特に変化なしの方、新社会人の方、それぞれいかがお過ごしでしょうか?

 

僕はサラリーマンとして働きだして丸3年経ちました。

社会人としてはまだまだヒヨッコですが、それでも3年は働いてきたわけです。

 

よく言うじゃないですか?「まずは3年は働け」って。

 

で、その時期を迎えたばかりの新鮮な心境をブログに書き残しておこうと思った次第であります。

 

 

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人生を賭けるものが人間には必要だ

どうも、コクトーです。

 

最近ずっと、考えていました。

そしてやっぱり、人間には生きる目的とか、人生を賭けてでもやりたいこと、ってのが必要だな、って結論に至りました。

 

少なくとも、僕にとってはそれが真実です。

 

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この目標なき時代に・・・

僕はいま、生きる原動力みたいなものに欠けている。

 

別に何か極端に辛いことがあるとか大切なものを失ったとか、そういうことじゃない。

 

仕事はおおむね順調。体調もいいし、金だって毎月ちゃんと入ってくる。

客観的に見れば何も問題がない生活だ。(彼女はいないが笑)

 

でも、主観的には何かやりきれないというか、満たされないなにかがある。

最近、いわゆる人生について考えることが増えた。

あまりよい兆候ではないのかもしれないが、どうしても考えてしまう。

 

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自己紹介

はじめまして。コクトーと申します。

1990年生まれ。男。兵庫県在住で、平凡なサラリーマンをやっております。

 

日々思うことを文章にしてみたいと思いブログをはじめました。

 

コメントなどもお気軽にしていってくださいね。

 

では、よろしくお願いします。