コクトーの実験室 ~現実を拡張せよ!~

繰り返しの日常から、いかにして現実を広げていくのか。その過程をほぼリアルタイムでシェアします。

この目標なき時代に・・・

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僕はいま、生きる原動力みたいなものに欠けている。

 

別に何か極端に辛いことがあるとか大切なものを失ったとか、そういうことじゃない。

 

仕事はおおむね順調。体調もいいし、金だって毎月ちゃんと入ってくる。

客観的に見れば何も問題がない生活だ。(彼女はいないが笑)

 

でも、主観的には何かやりきれないというか、満たされないなにかがある。

最近、いわゆる人生について考えることが増えた。

あまりよい兆候ではないのかもしれないが、どうしても考えてしまう。

 

 

僕は今まで比較的恵まれた環境で育ってきた。

そこそこ裕福な家庭に生まれ、まともな両親の元で育ち、そこそこの学歴で、安定した会社に入って今に至る。大きな病気などもしたことがない。

 

たぶんこれは今の時代、日本の中だけでみても、かなり恵まれている方だろう。

これでまだ満たされない何かがあるなんていうと、「じゃあ俺と変わってくれ」って言う人はきっと多いはずだ。

だけど、平均寿命から考えて、この先まだ人生が60年ほど続くと考えると、

俺の人生このままでいいのか

などと考えてしまう。

 

別に現状に大きな不満があるわけではない。

 

だけど、人生どう生きるか、を考えた時に、

最後は結局「死」が待っている、というところに行き着く。

 

どうせ死ぬのだから人生に価値はない、などというつもりはない。

素晴らしいものはたくさんあるだろう。

でも、そのたくさんある素晴らしいもの(物質的なものであれ、精神的なものであれ)は、やっぱり「この自分の人生」を引き換えにして体験するほどのものなのか。

 

はっきり言ってしまえば、「人生を消費する」ほどのものなんてこの世の中にはないな、と思う。

 

「死が全てを奪い去るのだから結局何もかも無意味だ」といいたいのではない。

 

もし人間が、テクノロジー・医療の進歩で死ななくなり、病気にもならないし、なってもすぐに治せる時代が来たとしよう。資源は無限に無料で調達できて、戦争や差別や貧困もなくなり、人間はマトリクスの世界みたいに、見た目や能力を自由に変えられるようになった。

で、もしそうなったとして、僕ら人間が存在する意味というか、「生きている」ことの醍醐味って何なのだろう?

 

多分僕らは、どんな経験や考えによっても、自分自身の「存在理由」というものを肯定できないのだろう。

経験や考えは「獲得するもの」だけど、

存在とか、生きている、ってことは「ただそうである」ってことだから。

質的に異なるんだろうな。

 

となった時に、この形ある世の中で、僕らはいったい、何をやっていけばいいのだろう?

 

 

 

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