コクトーの実験室 ~現実を拡張せよ!~

繰り返しの日常から、いかにして現実を広げていくのか。その過程をほぼリアルタイムでシェアします。

たぶん、自分を守る必要なんてないのだ

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最近、坂爪圭吾さんのいばや通信を読みまくっている。

 

この人の生き方のなんと清々しいことか。

この人の文章のなんと力強いことか。

 

今までの人生の中で、僕は「自分を成長させる」とか、「自分をスマートに見せる」ことを躍起になってやろうとしてきた。(全然できていないが)

特に社会人になってから、その傾向が強くなってきた気がする。

 

でもたぶん、それは間違いだ。

ここ3年ぐらい、いいようのない不安やもやもやを感じていたのだけど、どうやら僕は自分を守ろうとしすぎていたみたいだ。

もっというと、自分が分かる範囲での常識や”こうあるべき”に自分を適応させようとしていたのだ。

つまり、確実に安全な範囲に自分を押し込め、守ろうとしていたのである。

それが苦しみの原因だったことにようやく気がついた。

 

上記のいばや通信でよく言われていることがあって、それは"死んでこい"という意味のフレーズだ。

たぶん人は、自分自身を何かの基準に当てはめて、"生きよう"とすると腐る。

そこには何の新鮮さも、驚きも、世界が開けてくるあの開放感もない。

生きることで精一杯だった時代はそれで良かったのかもしれない。

死ぬことが身近で、みんなが安全に生きていることに喜びを感じられた時代があったのかもしれない。

でも今は違う。

生きること、安全であることが当たり前になった。

代わりに、人間から、生き生きとした活力・純粋で自然で素直な喜びが失われている気がする。たぶん僕らは一度、蓄積したものを削ぎ落として、原点を思い出す=野生とか自然と呼ばれるものを取り戻す必要があるのだと思う。

 

どうも、今の日本で暮らしていると、生命力というか、生きる力みたいなものがすり減っていく気がしていたのだが、最近なんとなく原因が分かってきた。

要するに、生き延びよう・保証を得ようとしてはダメなのだと思う。

 

世の中には、目標達成のための方法やスキルが溢れているが、そもそもフツーの意味での成功。。。金儲けとか有名になるとか、素敵な異性をゲットするとか。。。ってことに本気で、本気で憧れている人はどのぐらいいるのだろうか?ぶっちゃけ、もうそういうのには飽き飽きしていて、魅力を感じません!って人が実は多いように思う。(特に若い世代になればなるほど)。だって、そういうものを追い求めてきた、今の50代以降の人達が、ちっとも幸せそうじゃないんだから。

 

つまり、新しい価値観がいよいよ必要になってきていて、その芽はあちこちで出てきているように感じる。特にネット上で。

 

蓄積の価値観がもう終わったのだと思う。

これからは、いかにシンプルに、自分にとって大事なものを大事にしていくかが問われてくるのかもしれない。